シリアスな話

はじめに

この記事はじゆうちょうアドベントカレンダー25日目の記事です.
今年もまた1回しかブログを更新しなかったので,なんだかアドベントカレンダー専用ブログみたいになってしまっていますね.
せめて来年こそはブログの名前を決めてあげたい.

さて,今年は25日目の記事にちょうど相応しい出来事を先日経験しましたので,そのことについて書こうと思います.
皆さんも知っての通り25日目というのはアドベントカレンダーの一番最後.人体……特に消化管で言うと,この記事はアドベントカレンダーのお尻の辺りに位置しているわけです.
すなわち,あらゆるアドベントカレンダーにおいて25日目の記事に相応しいのはお尻の話題であると言えましょう.

もうお分かりですね.今年のテーマは大腸内視鏡検査です.
お尻の中にカメラが入ったのでお尻の中にカメラが入った話をします.

すべての始まり

すべての始まりは昨年の人間ドックでした.
これまで人間ドックに行ったことはありませんでしたが,私もそろそろいわゆる "いい歳",ここらで一度人間ドックなるものに行っておくのが良かろうと思ったわけなのです.
"いい歳" になると職場からの補助で実質無料で検査を受けられるからというセコい計算も多分にありましたが,まぁ無料で行けるのは良いことです.

結果,基本的には健康だったのですが,便潜血の検査で2回中1回陽性という判定が出ました(身に覚えあり).
「身に覚えあり」というのは,検査用の "サンプル" を採取する前日, 提出に使用しない "サンプル" を体内から排出する際にお尻にやや痛みが走ったという記憶があったのでした.
みなさんも身に覚えがあるかもしれませんが,何らかの理由により "サンプル" が尻穴強度の限界を超えて堅いとき,人のお尻は悲しみの赤い涙を流すとされています.
便潜血の検査は,この "悲しみの涙" を腸内からの出血として誤って拾ってしまうことがあるらしい…という(浅い)予備知識があったので,今回の陽性はそのようなものであろうと考えていました.

というわけで「どうせ痔でしょう」と思っていたためにモチベーションが上がらなかったのと,昨年の冬は例年になく忙しかったのとで,特に何も対応をすることもなく半年放置していました(一応,落ち着いたら検査に行こうとは思っていました*1).

半年経ってようやく人間ドックの結果を見た産業医に呼び出されて "面談" をされたので,覚悟を決めて精密検査を受けることにしました.
より正確には産業医に紹介状を貰って消化器内科を受診し,そこで「まぁ,下から入れてみるしかないので,下から入れてみましょう」と言われる約束された展開を経験してきました.

キレイな身体になるための準備

検査は最初の診察から数週間後に行われることになりました.
大腸内視鏡検査はキレイな身体で……具体的には腸内を空っぽにして受ける必要があるので,検査の前夜から食事制限と下剤の服薬を課されます.
前日の夕食では「海藻,キノコ,種ごと食べるもの(ゴマ,キウイフルーツ等),こんにゃく」が禁止食材として指定され,20時までに食べ終えるべしとされていました.

そして22時に最初の下剤を投入します.
自慢じゃありませんが,これまで私は人生において下剤というものを飲んだことがなかったので,自分の肉体が下剤を飲んだときにどのような反応を示すのか未知でした.
「寝る前に下剤なんか投入したら深夜に大変な惨事になるのでは…?」という若干の不安はありましたが,まぁ効きが緩やかなものが処方されているのだろうと信じて指示通りの時間に飲みました(実際,深夜に腹痛で目覚めたりすることはなかったです).

キレイな身体になるための本当の準備

前日就寝前の下剤に加え,検査当日の朝は6時から "本番の下剤(腸管洗浄液)" を飲み始めます.この下剤こそが,今回の大腸内視鏡検査最大の山場でした*2
具体的には2時間かけて2リットルの下剤を飲み干します.

2時間で2リットル,ビールであれば余裕の量ですが下剤であれば話は別です.
2リットルのビールは単なる美味しい液体でしかありませんが,この下剤は「腸で吸収されない液体を大量に飲んで腸の中身をまとめて全部押し出す」みたいなコンセプト(たぶん)なので,味が極めて微妙です.
頑張って喩えると「熱中症で死にそうなときに飲むと美味しく感じそうな味」でした(伝われ).

賢明なる読者諸氏は既に察していることと思われますが,2時間かけて2リットルの下剤を飲み干すということは 2時間強かけて2リットルの下剤+最初から入っていた中身を全部お尻から出すということです.
キッチン・PCの前・トイレという3点の間をぐるぐる回りながら,一定ペースでコップ1杯の下剤を飲み・twitter を眺め・腸の中身を排出し続けます.
この1ループのサイクルは10分程度ですので,それ以外のことは何も出来ません.
ここで急な来客などあった日には居留守を使うしかありませんが,客人も頻繁に聞こえてくる水洗トイレの洗浄音に何かを察してそっと帰っていただけることでありましょう.

とまれかくまれ,2時間強をかけて私はキレイな身体に生まれ変わりました.
ノリとしては悪名高い「池の水全部抜いてみた」を自分の肉体でやるみたいな感じですね.
いわゆる「腸の中全部抜いてみた」というやつです.出てきた中身をチェックしながら進めるところもたぶん一緒でありましょう.

2時間強の激闘を終え最後のトイレのドアを開けて出てきたのは,おそらくは生まれたとき以来のキレイな身体の私
いまこの状態でビールを流し込んだらこれまでになく純度の高い飲酒ができるはずです.
しかし,ここで誘惑に負けてビールを飲んでしまうともう一度下剤を飲むところからになりかねないので,ぐっと我慢して通院の時間を待ちます.

病院へ行き,そして…

空腹のまま待ちに待った通院の時間.しかし病院に着いたあとも待合室で待ちに待つことになります.まぁ,病院というのはそういうものなので,これは仕方のないことでありましょう.

待ってる間は特にやることもないので他の被験者を眺めていましたが,自分以外はやっぱりご高齢の方々が多いな〜という印象でした.そしてご高齢の方々は「下剤を全部飲めませんでした」という申告をしている割合が結構高かったです.
私は日頃から2リットル以上の液体を(飲み会で)常飲していたので耐えられましたが,そういう特殊な訓練を受けていない場合は,やはり2リットルの液体を延々と飲むというのは大変なことなのかもしれません.
次に同じ検査を受けるのがいつになるのかは分かりませんが,そのときに自分が2リットルを飲み干せる状態のままなのかな…?ということを考えて少し寂しい気分になりました.
老いても常在戦場の心構えは持ち続けたいものですね(…?).

なんだかんだで合計1時間強ほど待ったあとで診察室への移動を促されました.
その際,(1) 検査着に着替え, (2) 汚れちゃうことがあるので靴下は脱いできて, (3) スリッパとかは特にないので検査台まで自分の靴をそのまま履いてきてください,という指示を受けました.

靴下が汚れちゃう状態の足は再度自分の靴を履くとき(=検査台を降りるとき)までにキレイな状態に戻してもらえるのか…?という若干の疑問を抱きつつも,被験体であるところの私に拒否権はない(たぶん)ので,スタッフの方々を信じて粛々と指示に従います.

いざ穴ぐら

いよいよ検査台の上に横たわり,気分はまさにまな板の上の鯉です.
人間ドックで胃カメラの検査を受けたときも似たような気分になりましたが,そのときに比べても30倍くらいは鯉度が高かったです.もう…好きにしていいよ…///

検査中は(被験者の苦痛を取り除き,不意の暴走を抑えるために?)鎮静剤を点滴することになっていましたので,お尻にカメラを入れる前にまずは腕に針を入れます.
針を刺してくれた看護師さんに「痛くないですよね?」と訊かれたので,反射的に「どのレベルでですか?」と訊き返してしまったのですが「痛くないですね」と返されて終わりました.
針を刺されて全く痛くないわけもないじゃないですか…?という私の気持ちはそっとなかったことにされましたが,多忙を極める医療の現場においてはこれもまた致し方のないことでありましょう.

ファーストインパク

「カメラを入れる前にまず触診をしますね〜」という先生の声の直後に "ズドン" という衝撃が私の身体を貫きました.最初の一撃,そんな速度で入ってくるんだ?!
ズドンの後に続いてグリグリされていたような気がしますが,ズドンのズドン具合が気になってズドン以外の印象があまり残っていません.

というか鎮静剤あんまり効いてなくないですか…?(主観的には)
点滴は続いているはずなので鎮静剤も投入され続けていたと思うのですが,この後も検査終了までずっと意識がハッキリしていたような気がします(主観的には).

とはいえ「意識がハッキリしていた」という自己認識の信頼度はさほど高くはないとも思っています.酔ってる人の「酔っていない」という自己認識ほど信用のできないものはこの世に存在しないですからね.

冷静と情熱のあいだ

ズドンとグリグリの後はカメラが入っていったのですが,当日の日記には「温かい感触と冷たい感触の両方があった」書き残されていました.
しかし今となってはこれが何のことだったのかは不明です(もっと検査直後に詳しい記録を書いておけば良かった).
入口*3付近に温かいものがぬるぬると入っていく感覚がありつつ,何かヒヤリとした感覚を受けるタイミングが何度かあったという朧気な記憶があるのですが,この冷たい感触って何のことだったんでしょうね?
あるいは入れるときは温かく感じて出るときには冷たく感じたのかもしれません*4
次の機会があったらこの点に集中して検証してみたいと思います.

最初の触診こそインパクトがありましたが,カメラの方はスルスルかつヌルヌルと穏やかに,奥へ奥へと入っていきます.当日の日記を見ると
「あ,そんな奥まで入るんすね(ある種の感動)」
「あ,あ,そんなにぐいぐい動かして大丈夫なんすか,あ,あ,あ,あ」
「な,中で何か流してません?*5
という心の声が書き残されていました.
腸内(しかも奥の方)にカメラが入っていくときって,案外感触?感覚?で分かるものなんだなぁという印象です.

そしてクライマックスへ

カメラは順調に進み続け,体内を左側から右側へと移動していき,ついには大腸最奥地まで到達しました.本当にそんな奥まで入れちゃうんですね.
このような深いところまで人体を安全に蹂躙する術が存在しているなんて,人類の技術の高さには感服せざるを得ません.

欲を言うなら,近い将来には更に長く・更に細く・更に柔軟なカメラが開発されて小腸まで行けるようになっていて欲しいですね.
いえ,むしろ最終的には消化管を上から下まで駆け抜けるという "ひとつなぎの大秘宝 (ワンピース)" にたどり着いて欲しいです.口から入れて尻から出す,これぞ人類の夢の究極の到達点と言えましょう.絵面的にはわりと拷問っぽいですが.

ちなみに,検査室には(おそらくは)被験者がリラックス出来るようにという気持ちを込めてクラシック音楽が流れていたのですが,ちょうど検査も佳境に入った頃に曲目が急にトルコ行進曲に変わりました.
「検査室で流すにしてはアップテンポが過ぎません?」という気持ちはありつつも,大腸の一番奥の辺りまで異物が入ってる状態でノリノリな音楽を聴くという貴重な経験に感謝したいと思います.

人生で最も純度の高い飲酒

鎮静剤を入れていた関係で,検査結果の発表は当日には行われないことになっていましたので,検査終了後はベッドで少し休んでそのまま帰宅です.
まだ結果が分かっていないので完全にスッキリしたわけではありませんが,検査自体は思っていた以上に苦痛もなくスムーズに終わり,気分はそれなりに晴れやかです.
そして朝から腸内が空っぽの状態で,時刻は既に15時過ぎ,天候も晴れ,喉は渇いた,今日はもう仕事をする気も起きないぜ…!
というわけで,病院から帰宅して荷物を置いたあとは座る暇もなくお店の方角に駆け出してピカピカのまっさらな胃腸にビールを流し込みました.

ああ,これが人生で最も純度の高いビールの味!
大腸内視鏡検査を乗り越えた者*6だけに許された至福のひとときです.
なお,今回は幸いにも大丈夫でしたが生検等を行った場合は直後に飲酒しちゃダメな気がするので気をつけてくださいね(それはそう).

おわりに: 結果と今後の課題

結果発表は2週間後くらいに行われましたが,特に盛り上がりもなくあっさり終わったので割愛します*7.受診の際に「せっかくなので写真をください」と言ってみたら医師にちょっと笑われましたがちゃんと印刷してくれました*8
せっかくなのでその写真をここにも掲載したかったのですが,人類に反旗を翻した AI にえっちな写真だと判定されて何かしらの規制に引っかかったら悲しいのでやめておきます.
どうしても私の大腸を見てみたいという人は後でこっそり個人的に声をかけてください.

それではまた来年のこのくらいの時期にみなさんとお会いできるの信じて,そろそろ筆を置きたいと思います.
みなさん良いクリスマスと年末年始をお過ごしください.

*1:言うまでもないことですが,検査で引っかかったのに放置したら検査をする意味がありません.この記事を読まれた賢明なる諸氏は,お尻注意報が出たら直ちに消化器内科に駆け込んでパンツを下ろすようにしましょう

*2:大腸内視鏡検査はまだ始まっていない

*3:個人的には入口ではないのだが今日この瞬間においては入口である

*4:直感的にはなんとなく逆のような気もするけど,少なくとも入るときに冷たく感じた記憶はない

*5:後から思うと腸内に微妙に残っていた白菜の洗浄を試みられている場面だったようだ

*6:というか下剤を乗り越えた者

*7:たぶん痔だったってことだよ.言わせんな恥ずかしい

*8:「せっかくですからね」のお言葉と共に

惑星科学怪文書

この記事はじゆうちょうアドベントカレンダーの24日目です.今年もクリスマスにこんな記事を読んでいるあなたの人生に幸多からんことを.

例年であれば24日の朝にはアドベントカレンダー用の記事をアップロードして(そして,クリスマスにわざわざこんな記事を読んでいる皆さんを,ティーカップ片手に "高み" から見下ろして)いたのですが,今年に関しては今日に至るまで執筆時間を全然確保できず,ついにはこんな時間になってしまいました.今年の一番の負け組は間違いなくクリスマスの夜にこんな記事を書いている私です.見てろよ,来年はぜってぇ勝つ.

というわけで,私がこのアドベントカレンダーに参加するのも3年目ということになりました.1年目は私の趣味(”散歩”)の話を書き,2年目も私の趣味(女性アイドルグループ)の話を書きました.そして,ここまでの2回分の記事で私という人間の中身を全て出し尽くしてしまったので,今年はもう完璧にネタ切れです.書くことが全然ないので逆に仕事の話でも書こうかと思います.そうです,私は仕事と健康診断くらいしか話題のない,悲しき中年男性になってしまったのです.ちなみに今年の健康診断の結果は概ね良好でした.やったね.

どうして今年は仕事の話をしようと思ったのかと言うと,それはこの記事の下書きとして残されていたひとつのファイルが切っ掛けでした.一ヶ月くらい前の時点で「そろそろ記事の準備をしなきゃいけないな」と思いファイルを作成していたのです.そしていよいよ締切直前になった今日,久しぶりにそのファイルを開いたところ,そこにはただ一言「惑星科学怪文書」と書かれていました.

惑星科学怪文書,意味は全く分かりませんがそれなりの迫力を感じます.惑星科学×怪文書というありそうでなかった組み合わせ.どうすれば惑星科学怪文書なるものが誕生するのか現時点では皆目見当もつきませんが,他に妙案も浮かばないので今年はもう惑星科学怪文書を書くということにしてしまいましょう.昔の人の言葉を借りるなら,いわゆる『時間がないときは見切り発車をしなさい』というやつですね.これは旧約聖書に書かれている言葉ですが,実は旧約聖書に書かれているのかどうかは全然知りませんし,ここまでの話は全部適当に書いており概ね嘘です.

さて,それでは見切り発車で惑星科学怪文書を生成していきましょう.まずは日常生活においてあまり馴染みのない単語「怪文書」についての勉強から始めることにします.アウトプットをする前にはまずインプットをする,これぞ科学研究の基本ですよね.

皆さんご存知の通り,言葉の意味を知るためには辞書を引けば良いとされています.古くは『A little LOVE』という文献の中で,辞書を引くと物事がうまく進むというエピソードが紹介されているのはあまりにも有名です.私もこの文献に倣い,怪文書という字を辞書で引いて皆さんの名前をそこに足しておきました.

ええと,それで何でしたっけ? ああ,そうだ,怪文書の意味でしたね.怪文書怪文書,……かいぶん………え?

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はい,解散です. 記名ブログに記事を書いてる時点でもう全部おしまいでした.怪文書って筆者不明の文書だったんですね.惑星科学怪文書はその存在自体が不可能な悲劇の存在でした.生まれる前に死んでしまった概念,それが惑星科学怪文書.おお,可哀想な可愛い我が子よ.来年はもっとちゃんとした記事として生んであげるからね….

しかし,ここで本当に解散してしまうのは,あまりにも残念ですので,もう少しだけがんばってみることにしましょう.解散と言われて本当に解散するのって,中学生の武勇伝っぽい感じありますしね(先生に「帰れ」と言われて本当に帰るタイプのやつです.帰れって言う方がどうかという気もしますが).私も一応公式には「正体不明の謎の研究員」ということになっていますので,私が私としてアカウント名を明かして書いた文書でも,中傷的・暴露的な内容でさえあれば筆者不明の怪文書ということにして問題はないでしょう.

とは言え,私のアカウントは一応非公式には正体自明の近所の研究員ですので,公の場で他人を中傷したりすると大変なことになります.そういうのはインターネットの若い狂犬の人(犬なのか人なのか)の仕事であって,twitter アカウント開設13周年を迎えた私向きの行動ではありません.そう,14年目の twitter ライフはもっと大人の余裕を漂わせてラグジュアリーに過ごしたい…そんな風に日々思っています.ラグジュアリーってどういう意味なのかよく知らないですけど.

こうなってくると最後に残されているのは,ここで満を持して惑星科学要素を活かすという方向性です.中傷・暴露が問題になるのは,その対象が人間だからであって,相手が無生物の惑星科学であるならいくら中傷・暴露しても何ら問題は生じないと考えられます.例えば,気に入らない研究

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて女性アイドルグループを愛するようになったか

この記事はじゆうちょうアドベントカレンダーの24日目です.
その名の通り自由であるはずのじゆうちょうに,今年は "縛り" がひとつだけ存在しています.
それは記事の中に自分の「おすすめの何か」を含めること.
 
実は,このアドベントカレンダーに縛りを入れようと提案したのは,他でもないこの私です*1
なればこそ,満を持して今年は全力でおすすめしましょう.
そう,今年のテーマは "女性アイドルグループ" です.
 
思い返せば,去年のアドベントカレンダー記事の冒頭で,私は以下のように書きました*2
ちなみに初期の構想では,私がどのようにして欅坂46という女性アイドルグループに嵌っていったのかを赤裸々に語る記事にするという案もあったのですが,あまりにも需要が無さそうだったのでやめました.
そう,いつだって世間は女性アイドル好きのおじさんに厳しい.
おじさんとしてこの世に生を受けてしまった以上,公の場で女性アイドルについて語るためには相応の "覚悟" が必要というわけですね.
2019年の私にはその覚悟が足りなかったようなので,女性アイドルグループの話は2020年の私に任せることにします.
2019年の私にはその覚悟が足りませんでしたが,2020年の私は2019年の私とは一味違います.
具体的には「覚悟のススメ」を読了しました.
覚悟完了! 当方に執筆の用意あり! この2020年末においては,おすすめだけがアドベントカレンダーなのです.
 
というわけで,せっかくのクリスマスイブにこのような地の果てへ迷い込んでしまった全ての可哀想な皆さんのために,今年この記事を捧げます.
つらいことや悲しいことは全て忘れ,あなたも私たちとひとつになりましょう*3
そして「櫻坂46」という女性アイドルグループを蝶よ花よとちやほやするのです.
 
この記事の構成は以下のようになっています.
それなりに長い記事ですが,クリスマスもまだまだ長いので安心して人生を浪費していって下さいね.
 
  • はじめに −覚悟のススメ
  • 私にとっての欅坂46の始まりと終わり
    • こういうのもありなんだ,と私は思った  −アンビバレント
    • そしておじさんはドハマリした  −不協和音−
    • 私はそれを極致だと思った  −黒い羊−
    • 欅坂46との別れ  −世界には愛しかない−
    • そして櫻坂46へ  −角を曲がる−
  • おわりに  −何故 恋をして来なかったんだろう?−

*1:ここでそんな感じのことを口走っているので,興味のある人は要チェックだ(?)

*2:このブログ,結局年に1回しか更新されなかったな…?

*3:私たち = "女性アイドルグループを心の底から応援するおじさん" という統合思念体

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土地の始まりとその発展 ~現代的な視点から~

この記事は じゆうちょう Advent Calendar 2019 の24日目です.
 
さぁ,いよいよクリスマスイブですね.皆さん楽しいクリスマスイブを過ごしていますか?
今日この記事を読んでいるような人が楽しいクリスマスイブを過ごしているとは到底思えませんが….
 
そんな楽しくないクリスマスイブを過ごしているあなたにひとつ耳寄りな情報をお届けします.
なんと本日はマンガクロスにて「僕の心のヤバイやつ」スペシャル1Pマンガが公開されているそうです.
さすが聖夜ですね!
 
というわけで,みなさんもこんな世界の最果てのような記事を読んでいる場合ではありません.
今すぐマンガクロスに行って「僕の心のヤバいやつ」を心ゆくまで堪能しよう!
 
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さて,遍く全ての人類はマンガクロスを見に行っており,最早ここには誰もいないことと思いますが,本題に移りたいと思います.
 
今回の記事では,いかにして "土地" という(極めて狭い界隈での)ネットスラングが生まれ,いかにして(極めて狭い界隈に)広がっていったか?という話をします.
当初は「2019年 全土地記録」という記事を書こうと思っていたのですが,具体的な事例を挙げていってしまうと私の活動範囲があまりにも露わになってしまうことに日和って,概論を述べる記事となりました.
 
ちなみに初期の構想では,私がどのようにして欅坂46という女性アイドルグループに嵌っていったのかを赤裸々に語る記事にするという案もあったのですが,あまりにも需要が無さそうだったのでやめました.
そう,いつだって世間は女性アイドル好きのおじさんに厳しい.
おじさんとしてこの世に生を受けてしまった以上,公の場で女性アイドルについて語るためには相応の "覚悟" が必要というわけですね.
2019年の私にはその覚悟が足りなかったようなので,女性アイドルグループの話は2020年の私に任せることにします.
 
というわけで,本記事の構成は以下のような感じです.
意外と長いので人生を無駄にしたいとき,例えば何の予定もないクリスマスイブなどに特にオススメです*1

0. 私,動詞になりました

土地について語るためには,まず「本名する/ほみょる」という概念を説明しておく必要があります.
 
ここで出てくる「本名」は一般名詞の本名ではなく,私の本来の本名でもなく,私のハンドルネームであるところの本名*2です.
つまり,私のハンドルネームが(極めて狭い界隈において)動詞化され,何らかの意味を付与され(もてあそばれ)ているというわけです.
私が一体何をしたと言うのか?
 
簡潔に言うと,たくさん歩きました.
「本名する」の意味は「お酒を飲みすぎて終電を逃したときに歩いて帰ること」です.
経験的には,歩行時間が1時間を超えるあたりから「本名する」と呼ばれるようになります.
 
2016年頃から泥酔しては歩いて帰るという過ちを繰り返し続けた結果,最終的に(極めて狭い界隈において)動詞になってしまいました*3
私が歩いて帰っているときはもちろん,私以外の泥酔した誰かが終電を逃して歩いて帰っていることも一昨年頃には(私の twitter のタイムライン上では)ごく普通に「本名する」と表現されていました*4
 
泥酔して終電を逃したけれどタクシーで帰るお金も勿体ないから1時間以上歩いて家を目指す…こんな大人*5にはなりたくなかった.
母さん…見てるかい…あなたの息子は歩き続けて,遂に動詞になったよ….
 
というわけで「私は(やや)頻繁に泥酔して終電を逃し,歩いて家まで帰っていた」というところまでが前提知識です.
そしてこの後,状況はさらに悪化していきます.
あるとき,私は土地に辿り着いてしまったのです. 

1. 土地の誕生

土地とは何か,それは全ての人が帰るべき約束の場所です.
土地は全ての人を等しく,そして優しく迎え入れてくれます.
 
本名するを超えた先,そこには広大な土地が存在していました.
通常のレベルの本名であれば,誰しも,本名しているうちにだんだんと正気へと帰ってくるものです.
通常を一歩超えたその先の境地,最後の最後まで正気に帰ってこられなかったときに辿り着く最果ての場所,それが土地なのです.
 
私が初めて土地に辿り着いたのはある冬の寒い日こと,その舞台は新宿でした.
その日,私は友人たちと強かにお酒を飲んでいました.
某イングリッシュパブスタイルのチェーン店でロングアイランドアイスティー*6を延々と飲み続けた私(達)は完全に正気を失い,正気を失ったまま解散しました.
そして仲間たちとの解散を最後に私の記憶の糸はプッツリと途切れます.
 
次に意識が微妙に戻ったとき,私はどこか公園のようなところをふわふわと歩き続けていました.
ここはどこだ…?とおぼろげに考えつつも,地図を調べて正しい方向に向かうだけの知能が回復していなかったので,私はふわふわふらふらと歩き続けました.
そのまま1時間ほど歩いた末に私が辿り着いたのは(普通に歩くと徒歩15-20分弱くらいで行ける)新大久保駅でした.
 
新宿駅の近くでみんなで飲んでいたはずなのに何故わたしはひとりで新大久保にいるのだろう?
みんなはどこ…?わたしはだれ…?これからわたしどうなっちゃうの…? ふわふわしていてきもちいい….おトイレいきたい….けっこう歩いたわりには新大久保って新宿のとなりのえきじゃない…?
アルコールで濁った脳に様々な思いが浮かんでは消えます.
 
ふと携帯を見ると,理性を保ったまま帰った(稀有な)友人から生存確認の連絡がきていました.
しかし,そのときの私の脳はトロトロのプリンのようにふわふわしていたので,完全に噛み合っていない会話の記録だけがあとに残されました.
この会話は後に「初手宇宙」として我々の(酔いが覚めたあとの)記憶に深く刻み込まれたとされています(Fig. 1).
 
Fig.1: 初手宇宙(画像は某友人氏より拝借.輝いてる人が私です)*7
 
初手で宇宙に辿り着いたあとも私の旅路は続きます.
何故か輝いている世界の中をふわふわと歩き続ける私.
そのうちに私の胸の中から何か(吐瀉物ではないもの)がこみ上げてきました.
吐瀉物でない何かを,私はぽろぽろとタイムラインに投下し始めます(Fig.2).
それはポエムのような形をしていました.
 
Fig.2: 謎のポエム.人生,屋根,生まれて生きているということ,壁……壁?
 
このときの私の身に何が起こっていたのかは,今となっては定かではありません.
ただひとつ私に言えるのは,冬の東京で生きるのに屋根と壁は極めて重要であるということだけです.
ここまで諦めずに読んでくれた我慢強いみなさんも,今日はこの言葉を胸に刻み込んで帰ってください.
さぁ,リピートアフターミー.
冬の東京で生きるのに,屋根と壁は極めて重要です.
 
そして,胸の中から溢れる想いを吐き出しながらも続いていた私の旅路は唐突に終わりを告げます.
次の発言を最後にその日の私の消息は完全に途絶えたのです(Fig.3).
 
Fig.3: そして連絡は途絶えた
 
こうして "土地" が生まれました.

2. 広がっていく土地 

「本名する」が,界隈の(終電を逃しがちな)大人たちに広まって行ったのと同じように「土地」という概念も界隈の(終電を逃しがちな)人々に静かに広まっていきました.
誰かが「今夜は帰れないかもしれない…」という雰囲気を醸し出すや否や「土地行くの?」「○○さんが土地へ行こうとしている」という煽り合いが始まります.
世はまさに戦国時代.
このタイムラインにいるのは隙あらば他人を土地に送り込もうとする修羅ばかりです.
 
このように,最初は私の中だけにあった「土地」は徐々に拡大していき,いつしか皆の心の中にしっかりと根付きました. 
そしてそのまま土地はさらに広がっていき,ついには地権者という概念が生まれます(Fig.4). 
こうして,この世に所有権と経済活動が生まれました.
 

Fig.4: 地権者の誕生*8

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また,土地の広がりは日本という枠組みにさえ囚われず,大地を隔てているはずの海にすら遮られることなく,その裾野は海外(沖縄)までも広がっていきました.

以下に示すのは,海外野宿業界の第一人者である高名な方から「土地」へのお墨付きを頂いた場面を記録した,記念すべきスクリーンショットです.

 

Fig.5: 海外野宿の第一人者(参考文献)に認められた輝かしい業績

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こうして,ついに世界はひとつになりました.

3. あなたも土地を訪れよう

ここまでこの記事を読んだ異常に辛抱強いあなたも,だんだん土地に行ってみたくなってきたのではないでしょうか?
かつての日本では「住めば都」と言われたものですが,これから先は「酔えば土地」の時代です.
地球に住んでる以上,どこでもホテルです.
そして地球は丸いから,歩いていればいつかは帰れるのです.
飲みましょう,歩きましょう,辿り着きましょう.そこに答えは眠っています.
 
土地を訪れるために必要なものは,そう多くはありません.
具体的にはアルコールに負ける弱い意志と現金だけです.
さぁ,あなたも諭吉を1枚(数枚以上でも良い)握りしめて,広い土地へと飛び出そう!
素敵な未来がきっと待ってる!

4. 土地から帰ってくるためには 

しかし幸せな時間はいつまでもは続きません.
あなたがどんな土地へ辿り着いたとして,それでも最後には,あなたはあなたの日常へと帰ってこなくてはならないのです.
それが真っ当な物語というものなのです.
では,あなたが土地から帰ってくるために必要なことは何でしょうか?
 
私の中に蓄積された圧倒的な経験値はこのように語っています.
 
「何よりも暖かい季節を選びましょう,それが無理だとしてもせめて暖かい地域を選びましょう」
 
そう,間違っても厳冬の雪国で土地を目指してはなりません.
土地が誕生したのは寒さの厳しい冬でしたが,場所が新宿(から流れ着いた近隣のどこか) だったことで,私は辛うじて帰ってくることができました.
もしもあの時の新宿が新宿じゃなくて稚内だったとしたら,きっとこの記事が執筆されることは無かったでしょう.
 
しかし今はまさに忘年会シーズン.
皆さんもついつい土地を目指して夜毎に歩いてしまうこととは思います.
それでもここは心を鬼にして飲酒はほどほどに,春の訪土地を目標に力を蓄えることに専念しましょう.
そして冬が去り,つくしが伸びてくる季節になったらまた土地でお会いしましょう.
 
最後になりますが,この記事を執筆するにあたって twitter における過去の自分の言動を掘り返すことで,自分の人生が本当に不安になってきました.
もう30代も半ばなのですが,果たして私の人生はこのままで良いのでしょうか?
そもそも,本当に私は土地から帰ってこられているのでしょうか?
もしかして自分が正常だと錯覚しているだけで,私はあのときからずっと土地の中にいるのでは…?
そして,この記事を読んでいるということは,実はあなたも既に土地の住人なのでは…?
 
分からない…何も分からないけどそれでは皆さん,よいクリスマスを!
そして少し早いですが,よいお土地を!(Fig.6)
さようなら,さようなら!
私は次の土地を目指して旅立ちます.さようなら,さようなら!
 
Fig.6: よいお土地を! 
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Appendix A.:代官山オシャレリバース 

土地が生まれたその日,一緒に飲んでいた友達*9は,代官山で途中下車して複数回のリバースを経た後に家に帰り着きました.
この事件は界隈では「代官山オシャレリバース」と呼ばれています(Fig.A1).
帰宅開始からリバースまでのスピード感が素晴らしいですね.
 
みなさんも帰り道にどうしてもリバースしたくなったら代官山(のトイレ)でキレイにオシャレにリバースしてくださいね.
絶対に掃除の人に迷惑かけちゃダメだぞ.先生との約束だ!
 
Fig.A1: 代官山オシャレリバース (プライバシー保護の観点から画像処理を行っています.Twitter TL のスクショなので下から順に読んでください)
 
 

*1:全くの余談なんですけど,最近では身の回りの知人達はクリスマスと言えば "家族" と過ごす人が大半になってきていて,ボッチがどうだの恋人がどうだの言ってる人って最早少数派も少数派の絶滅危惧種になってしまいましたね.これが大人になるということなのでしょうか…人生って怖い.みんなが子育てや持ち家や投資の話をしている間にも私は女性アイドルグループやラブコメ漫画や退学の話しかできないのですが…

*2:このハンドルネームはややこしい上に検索性が悪いように見えますが,twitter 社によると,これで友達が私を見つけやすくなるようです.不思議ですね(何を言っているのか意味が分からない人は私の bio欄 を見てください).

*3:ついでに頻繁に飲み会に行ってた割には痩せました.たくさん歩いていたので

*4:泥酔して終電を逃して歩いて帰る人が次々に現れる私の twitter タイムラインは一体どうなっているのか? 世紀末なのか?

*5:より正確には「大人達のうちの一人」ですね.この記事のメイン読者と想定されるタイムラインの皆さんの中には似たような(歩くのが大好きな)大人が沢山いる…私は詳しいんだ

*6:弊タイムラインでは長島紅茶や長嶋紅茶と呼ばれているカクテル.紅茶は入っていないが紅茶のような味がする…と言われている(私は紅茶の味ではなくロングアイランドアイスティーの味がすると思っている).とりあえずアルコール度数が結構高いので脳がふわふわしやすい.

*7:2個目の私の発言の前後に入っている改行がまた味わい深い

*8:余談ですが,ながなおさんの twilog を「土地」で検索すると土地の話が沢山出てくる

*9:初手宇宙の友達とは別の人

2018/03/27

午前はそこそこ論文を書き進め,午後はALMAの検討会に出席した.

某発表の中で,ちょうど自分が論文に書いていたのとほぼ同じ議論が M さんのコメントに出てきてタイムリーさを感じた.

 

夕方,先週少しだけ手を付けて中断していた居室の撤収作業を再開した.

ひとまず手頃なサイズのダンボール箱を計算機室から幾つか見繕ってきた.

本を詰めるにはやや貧弱だったので明日ガムテープで補強してから中身を詰めていこうと思う.

 

現在の職場に行くのもあと3日.

2018/03/26

前回の記事からまた日が開いてしまった.

日記を書いていなかった間に来年度の職場が決まり,ひとまずポスドクとしての生存が確定した.

無職あるいは無給という選択肢が見え隠れする,なかなか緊張感に溢れた1年あるいは半年間だった.

次はここまでピンチにならないように業績を積みたい.もりもりと積み上げたい.

 

今日は昨夜干す前に寝落ちしてしまった洗濯をやり直すところから1日がスタートした.

真夏だったら大変なことになっていた予感がするが,まだそれほど気温が高くないので一晩放置された洗濯物の匂いは平和であった.

明日の朝も洗濯して,溜まっている洗濯カゴの中身を減らしていきたい所存.
 
有給消化中でずっと家にいるはずなのだが,年度末はなんとなくバタバタしていて.抱えている論文 A, B に関する作業が見事に滞っている.
早く共著者に投げなくてはまずい.年度内には確実に投げたい.投げつけたい.

2017/10/18

はてなブログを再開しようと思う.
直前の記事が2年前である.
この2年でいろいろあった.
具体的には退学したり着任したり博士になったり引っ越したりした.
というか,もう次の3月で任期が切れる.やべぇ.
 
これは半年後に次のポストに就けるかどうかという崖っぷちポスドクの日記となります.
 
今日は論文執筆の進捗はいまいちだったけど,面白そうな(〜 知りたかったことが書いてありそうな)論文を見つけることができたので,そこそこ満足している.
明日この論文を精読するのが楽しみ(…なんだけど明日は用事が多くて作業に割ける時間が少ないかも…?)